代表インタビュー | 医療法人おひさま会 (関西)

代表者インタビュー

CEO Interview

当法人代表の山口が、在宅医療へ取り組むことと なったきっかけや
共通理念の『A New Harmonious World.』に込めた思いを語ります。
おひさま会設立のきっかけ

01

その最期は本当に
自分らしい終わり方なのでしょうか
 自分の人生は、最期まで自分らしく生きたい。しかし、現実は病気になったり、怪我をしたり、高齢になるにつれて体力が衰えたりして、多くの人が病院で息を引き取ります。病院で最期を迎えるのが一般的といわれる中、緩和ケアを受けつつ支援をうけながら過ごしたい場所で生活することが可能であれば「できるだけ長く自宅で療養生活をしたい」「人生の最期は住み慣れた自宅で過ごしたい」と希望する声は少なくありません。こうしたギャップをなくし、その人らしい最期をサポートすることが必要ではないか。「人生100年時代」といわれる今、患者さまご本人が希望する場所で、ご本人の望みごとをかなえていく在宅医療のニーズが高まっています。
  救急医の葛藤
「その命は本当の意味で救えたのか」
 救急医療の最前線に身を置いていた私が、在宅医療に関心を持つようになったのは、今から18年前のこと。当時、私は三次救急という、最重症の患者の救命救急治療に携わっていました。救える命はなんとしてでも助けたい。その一心で治療にあたっていましたが、助からない命も多く、またその時はなんとか一命を取り留めたけれど、後日転院先ですぐに息を引きとられる方がいたり、重度の後遺症が残って寝たきり生活になってしまったりと、命を助けることはできたとしても、本当の意味でその人を救えたのだろうかという葛藤が常にありました。
ご本人もご家族も悔いのない別れを
 同じ頃に、わが家にも事件が起こりました。一緒に暮らしていた祖母が食べ物を喉に詰まらせ、窒息による心肺停止で病院に緊急搬送されたのです。心臓マッサージを行いながら蘇生処置をするべきかどうか、判断を迫られましたが救命処置続行を決定しました。それにより心拍は再開し、蘇生後脳症という脳機能障害をもちながら、なんとか助かり家に戻ることができました。食事を食べさせていたのは母であり、自分のせいで祖母を危険な目に遭わせてしまった、その先に僕に頼ってきた救命センターで働く私。もしそのとき、蘇生を中止していたら、残された母にとっては大きな心の傷になったと思います。半年の介護の末、最後は自分の腕枕で安らかに眠る祖母を看取りました。逝く人も看取る人も後悔のない別れをしてほしい。こうした経験から、救急医療の退院後をサポートする受け皿が必要だと考え、在宅医療医への転身を決意したのです。

兵庫県神戸市垂水区に

在宅医療支援診療所 やまぐちクリニック 開業

どんなケースでも断らない、
地域のニーズに応えるクリニック
 とはいえ、これまで救急医の経験しかない私にとって、在宅医療は未知の世界。当初は起業するつもりはなく、どこかの病院で在宅医療の経験を積みたいと考えていました。また、在宅医療を希望する人が年々増えていく一方で、それに応えられるクリニックの数が追いつかないという世の中でもありました。そして、2006年に在宅医療の普及を目的とした在宅医療養支援診療所制度がスタートしたのです。在宅医療養支援診療所とは、看取りを含めた24時間体制医療を行います。一般の診療所機能に比べてハードルが高いため、制度が確立されてから15年経った今も多くは存在しません。在宅医としての経験はないけれど、救急医として24時間生死と向き合っていた私ならできる。数が少ないのなら、自分で作ればいい。これからの医療に必要なのは、治療することだけではなく、その人らしい生き方をサポートすることなのだと信じて、制度がスタートした2006年に開業しました。

兵庫県神戸市垂水区に

在宅医療支援診療所 やまぐちクリニック 開業

怪我や病気とどう向き合うか
02
治すことが目的ではない
 当初は人を雇う資金も少なく、医師は私一人でクリニックには看護師もいない状況でした。しかし地域を見渡せば、そこには数多くの訪問看護ステーションがありました。介護施設には看護師がいるところもありました。私が救命センター時代にたたきこまれた信念のひとつに、どんなケースでも断らないということがあります。それをそのまま引き継ぐことにしました。病院医のときは、三次の救命センターとしての命の最後の砦の一員として、とにかく命を助けること、治療して良くすることに全力を捧げていました。しかし、在宅で診る患者さまは治すことができない病気を抱えていたり、老いによる衰弱が進行していたりします。もはや治すことが目的ではなく、治ることのない病気や老いとどう向き合い、残りの人生をどのように過ごしていきたいかを考え、寄り添うかに重きを置いています。その寄り添うということこそが、在宅医療であり、その依頼を決して断らないという形で引き受け続けました。
それぞれのプロが力を発揮し、一つのチームになってサポートする
 手探り状態でスタートした「おひさま会」でしたが、在宅医療のニーズは年々高まるばかりで、重症度や、社会環境も含めた医学管理の複雑性も高まってきました。そして、専門職が医師以外いない体制では、これ以上の患者を引き受けることが難しくなってきました。「どんなケースでも絶対に断らない」という信念が貫けないのであれば、組織を変えていかなければなりません。もっと広く受け入れていくには、組織として医師はもちろんのこと、看護師、薬剤師、ソーシャルワーカー、医療事務、メディカル・スタッフ、など可能な限りの多職種を確保し、互いに成長していく環境をつくることが必要だと考え、一挙に雇用を増やすことにしました。財務的、経営的には非常に厳しい選択でしたが、そうしたことによって、多くの患者さまを受け入れられるようになっただけでなく、おひさま会の医療レベルをさらにアップすることができました。在宅医療においては、医師も看護師も薬剤師もソーシャルワーカーも医療事務もその他のスタッフたちもすべてが対等な関係のプロフェッショナルです。それぞれのプロが自分の仕事にプライドと信念を持ち、患者さまと向き合います。ときには、自分の経験や思いが強く出てしまい、サポートメンバー同士でぶつかり合うこともありますが、そんなときは一度立ち返り、そもそもご本人は何を望んでいるのか、何を大切にしたいと思っているのかを考え、チームのみんなが同じ方向に向かっていけるよう修正していきます。患者さまもご家族の前では威厳を保ったり、医師には頑張っている自分を見せようとしたりしますが、ソーシャルワーカーには本音を打ち明けたり、看護師には甘えたりとそれぞれの関係性によって、いろいろな人格を見せます。そのすべてが患者さまご本人であることをチームで共有し合い、患者さまにとってのベストを紡ぎ出すのです。今は、そんな、患者さまに伴走するプロフェッショナルチームになることを目指しています。
自分らしく生きるための医療を
03
常に点滴が必要な患者と一緒に
焼き鳥とハイボールを楽しむ
 患者さまが望んでいることは、人によってさまざまです。ある患者さまは拡張型心筋症という心臓の筋力が低下する病気を患い、常に強心剤と利尿剤を点滴しなければならず、長い間、入院生活を送られていましたが、家に帰って自分のやりたいことをやり悔いのない人生にしたいと在宅医療を選択されました。ご本人の希望は、お寿司と焼き鳥を食べに行くことでした。点滴がなければ生き続けることはできない身体でしたが、点滴を入れれば元気に過ごすことができたので、リスクはもちろんありましたが、本人の希望を叶えてあげようとサポートメンバーの意見は一致しました。そして、看護師とはお寿司を、私とは自分も大好きな焼き鳥を患者さんとうちのスタッフ、訪問看護師さん、ケアマネージャーさんと一緒に食べに行きました。医療の立場からすると、塩分や水分を控えるように指示しなければいけないのですが、ご本人が嬉しそうに焼き鳥を頬張り、ハイボールを飲んでいる姿を見て、ご家族もスタッフも心から良かったと思えました。その後しばらくしてから、その方はお亡くなりになるのですが、ご本人も周りでサポートしてきた人達もみんな悔いのない別れをすることができました。今だにその時撮った写真は宝物です。
患者さまがあきらめていることを みんなの力で可能にする
 病気があるからこれができない、あれもできない。そうやって我慢を強いられ、自分のやりたいことをあきらめてしまう。病院では治療が最優先されますが、自分らしく生きたいと在宅医療を選ばれたのであれば、できるだけその希望を叶えることが大切です。患者さまの「〜したい」という気持ちと、サポートをするメンバーの「想いに一緒に伴走したい」という気持ちがかみ合ったときの大きな喜び。こうした喜びを幾度も経験し、それが仕事のモチベーションになっています。治療をし、命を救うことだけが、医療の仕事ではないと思います。
一方で、その望みも生活の場では一体となっているわけではありません。患者さまご本人の希望とご家族の希望が必ずしも一致しないこともしょっちゅうです。しかし、こうしたズレが生じたときにも、なぜそのズレが生じているのか、今までの人生を家族と一緒に、今までの物語を一緒に語り合っていきます。。最期の迎え方を考えるときに、今までのご親族がどのような亡くなり方をしたのか、これまでの本人の歴史、そしてご家族の歴史はどうだったのか。その物語を語りあっていくことで、家族同士もつながりが強まり、私達との関係性も深まっていきます。そして、そこに答えが少しずつ少しずつ浮かび上がってきます。一般的には、これは医師の仕事の域を超えていると思います。けれども、そこまで関わっていこうという気持ちがなければ、その方に伴走しているとは言えません。それを大変と感じるか、やりがいと感じるかです。
おひさま会が目指す未来
04
今よりも新たな調和がとれたハーモニーのある世界を
 おひさま会を設立して15年。当初は、「どんなケースでも断らない」「安心で安定した幸せな療養生活をできるだけ多くの場所で」を信念に患者さまを受け入れてきました。今はその先に、たとえ病気や疾病があったとしても、その方が生きることを決してあきらめる必要がない。そんな環境をその方のまわりに作り出すことができるチームになることを目指していきたいと考えています。そのためには、その人の人生を知ることが必要ですし、その人をとりまく人々の人生も理解する必要があります。もちろん、そんなことが医療技術だけで実現できるはずが有りません。医療の枠をはるかに超えて、さまざまな業種や仲間たちと手を組んでいきたいのです。あなたが、そして、私が、どんな状態にあったとしても、生きることを諦めることが決してない、そして、望みもあきらめることもなく人生の最後まで生き続けることができるような世界になったとしたら。そして、その支え合いが医療や介護の枠を遥かに超えて、世の中に満ち溢れるようになったとしたら。おひさま会がこれから目指していくのはそんな心温まる、すべての命が支え合うようなつながりをもっている世界をつくることです。これからの第2ステージでは、この新しいひとつにつながった命を支え合うことができる世界、「A new harmonious world(NHW)」を目指し、新たな在宅医療のカタチを実現していきます。

医療法人おひさま会 理事長 山口高秀
救急医として働く傍ら、祖母を在宅で看取った経験から救急医療の退院後の受け皿不足を実感し、救急から宅医への転身を決意し2006年に在宅医療やまぐちクリニックを開業。診療のかたわら、グロービス経営大学院に進学、2011年にMBA(経営学修士)を取得。